大切な愛猫の死が教えてくれたこと
2017年1月のこと。
日付が変わって間もない時間。
実家から私のもとへ来てくれた、愛おしい猫・ぱちゃが、天国へと旅立ちました。
すでに、3匹の猫が暮らす我が家にやって来たその日から、きっちり2週間のひきこもりを実践。
当時は、ずいぶんと心配しましたが、やがて、持ち前の大らかさを発揮。
間もなく、他の仲間の信頼を得、年長らしい貫禄をみせた立派な子でした。
最後の最後。
日頃、「大好き」を伝え合うコミュニケーションの手段のひとつとして楽しんでいた、彼のおでこと私のおでこをすり合わせる「ごっつんすりん」を、
何度も繰り返した後、彼は大きく息を吐き、やがて、がくんと体を横たえました。
頑張って、頑張って、頑張ってくれた末の最期です。
ぱちゃのはかない体を抱きしめながら、こうして、ゆっくりと一緒に過ごせる夜まで旅立つことをせず、最後まで懸命に寄り添ってくれたことへの大きな感謝と共に、無理をさせてしまったのではないか、頑張らせすぎてしまったのではないだろうか、という痛みがこみ上げてきました。
ぱちゃの具合が悪くなってからというもの、私は彼に「大丈夫、大丈夫、もう少しだから。だから、もう少しだけ頑張って」と言い続けていたのです。
もちろん、根拠もなく、そう言っていたわけではありません。
今にして思えば、あまりにも勝手な願いとも言えるのですが、きっと助けてもらえると信じる手立てがありましたし、ぱちゃが天国へ旅立つのは、まだ、ずっと先のことだと思っていたのです。
しかし、徐々に食欲が落ちてゆく彼をみて、私は、ぱちゃを失うことになる、という現実を受け入れなければならないことを意識しないわけにはいかなくなりました。
諦めにも似たような、その覚悟ができるまで、ぱちゃは、私の「頑張って」という声に応え続け、頑張って頑張って、頑張り抜いてくれたのだと、今になって、ようやくわかります。
なぜもっと早く「苦しかったら頑張らなくていいよ。楽になっていいんだよ」と言ってあげられなかったのだろうと、ただただ申し訳ない想いがこみあげました。
今も、その想いは変わらず、私の中にあります。
深い謝罪の念が、あとからあとから、こみあげるのです。
ぱちゃが、近所の動物病院で「腸に腫瘍ができている」と診断された日、私は、慌てて、東京都八王子市にある須崎動物病院に、診療の予約をいれました。
須崎動物病院は、私が、ペット食育指導士として、様々な学びを受けている須崎恭彦先生が院長を努める病院。
表に表れる症状を消すのではなく、症状を起こささせている根本原因を探り、それを除去することで、動物が、本来持っている「治る力」を引き上げ、健康へと導く、「原因療法」を行なっている病院です。
西洋医学的にみて、足を切断するしかないと言われた犬さんが、手術をせずとも、体の中の根本原因を取り除くことで、元気に走れるようになったり、他の病院で悪性リンパ種と診断され、余命宣告までされた犬さんが、やはり、その症状を起こさせている原因を探り、取り除くことによって、その後も元気にすごしてくれていたり、アレルギーとの診断を受け、実際に、被毛が抜け落ちていた子が、一年も過ぎると、毛がふさふさになり、かゆみもなくなっていたりと、その回復ぶりには、目をみはるものがあり、これらの実例は、西洋医学だけではない、まったく別の視点を持つことの重要性を、私に教えてくれていました。
あまりにも重篤な症状の子たちが、劇的な回復をとげているという現実に、私もいずれ、愛猫たちがお世話になることはあるだろう、そしてその時は、やはり、劇的な回復をしてくれる、と信じていたのです。
「大丈夫、大丈夫」とぱちゃに対して言い続けていた理由は、ここにあります。
診療の予約は常にいっぱいで、数ヶ月待ちが当たり前の須崎動物病院。
しかし、診療さえしていただければ、そして、今回、腫瘍と診断される症状を引き起こしている、ぱちゃの体の中の根本原因を取り除くことができれば、ぱちゃはまた、元気なぱちゃに戻れると、そう、信じていたのです。
何事にも、適切なタイミングがある
しかし、何事にもタイミングがあることを思い知らされました。
ぱちゃの件で、私が須崎動物病院に頼るには、あまりにも、時期が遅すぎたのです。
腫瘍と診断されてから数日間。
とても懸命に、あるだけの力を振り絞って病と闘ってくれたぱちゃではありましたが、私の行動が遅すぎたために、とうとう、この世での生の終わりを迎えることになりました。
最後には、食べ物を口にすることさえ嫌がってしまったぱちゃ。
そうすることで「ぼくは、もうそろそろ天国へ行くよ」と、私の覚悟を促していたのかもしれません。
須崎先生の診断によると「腫瘍ができたのではなく、腸に炎症が起きただけではないか。体の中に、特に大きな感染等の問題はなく、きれい。ただ、体力がなくなってしまった、寿命だったのでしょう」とのこと。
なぜ、私はもっと早くぱちゃの異変に気づくことができなかったのか。
悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない、私の失敗。
これまでの経緯を、須崎先生が「なぜもっと早く・・・」とお感じになっても当然でしょう。
しかし、決してそのような言葉を口にすることなく、「彼は頑張ってくれましたよ」という言葉に替えてくださった時、須崎先生の優しさが深く沁み入ると共に、先生が日頃、ご自身の診療において感じることとして、よく口になさる「『藁をもつかむ』のではなく、
早め早めの対策、『転ばぬ先の杖』にしてください」という言葉が、痛いほどに身に沁みたのでした。
いろいろな視点、さまざまな選択肢を持つことの重要性
西洋医学ではない視点からの原因療法。
私は、それを知っていて、それを信じていて、とても頼りにしていて、必ずやお世話になり、助けてもらえると思っていたのに、お世話になる時期を間違えてしまいました。大事な大事なぱちゃに、それをいかしてあげられなかったのです。
行動を起こすのが遅すぎたこと、悔やまれてなりません。
須崎先生のセミナーを受講した際、「体力がなくなってしまってからでは、何をやっても回復しない」須崎先生が、つらそうに、口になさるその一言を、「私は大丈夫」と思いながら聞いていた自分を振り返ると、何を根拠に大丈夫だなどと高を括っていたのだろう、何事にも、適切なタイミングでの行動が伴わなければ何の意味もないのにと、自分を責める以外に、ぱちゃに詫びる方法が見い出せなくなるのです。
大切な犬さん、猫さんを、どのように見送ってあげられるか
日々の生活の中、特に、動物と暮らす上で、何ひとつ後悔すべきことはない、というのは難しいことかもしれません。
「あの時、こうしていれば・・・」という出来事が、一つや二つあっても、それは無理もないこと、と言えるのではないでしょうか。
でも、その後悔は、少ないほうがいいし小さいほうがいい。
後悔よりも「できることはすべてやった」「力を尽くした」と思える気持ちのほうが大きければ、それはとても素晴らしいことです。
犬さんも猫さんも、私たち人間も、生きものである以上、死亡率は100%。
これは動かしようのない事実。
それならばせめて、生きている間は健康に、いいえ、この世での命を終えるその瞬間まで、健康でいてくれたなら、どんなにいいことでしょう。
病気の苦しみを負うことなく、静かに旅立つ姿を見送ることができるなら、それは、どんなにか、有り難いことだろうと考えます。。
早め早めの対策、そのためにできることの、選択肢のひとつとして
もっと早いうちから、定期的に須崎先生に診ていただいていればよかった、寿命とは言え、少しでも苦しむことなく、静かに旅立たせてあげるのが、
私にできる、大事な務めだったはず、という想い、それができなかったという大きな後悔、そして何よりも、ぱちゃが「覚悟はできるまでは頑張るよ」と
身を持って示してくれた愛情を無駄にしてはいけない、一人でも多くの方に、原因療法を知っていただき、共に暮らす動物たちに、命を終えるその瞬間まで、元気でいてほしい・・・、そんな想いで、「須崎動物病院 仙台移動式診療」のお手伝いをさせていただくことになりました。
「須崎動物病院 仙台移動式診療」の開始と共に、須崎動物病院・須崎恭彦院長が作成してくださった、東洋思想の根幹のひとつである陰陽五行の視点から
各季節ごとに調整しておきたい箇所をケアするトリートメントプログラムを提供できることになりましたこと、とても有り難いことだと思っています。
「今現在、特に心配はないけれど、最後まで健康に暮らしてもらいたい。そのためのケアをしてあげたい」とお考えの皆様には、ぜひとも、おすすめしたいプログラムです。
須崎動物病院 仙台移動式診療での、須崎恭彦先生の原因療法と、バイオレゾナンストリートメントによって、後悔に苛まれる方が、一人でも少なくなることを願うだけでなく、たくさんの犬さん、猫さんの元気で明るい、楽しそうな笑顔が、一日でも長く続き、それによってうまれる、皆様のしあわせが、より大きなものになりますことを願ってやみません。
福猫本舗 鈴木美由起
※バイオレゾナンス トリートメントは医療行為ではありません。
しかし、
「病気は治すものではなく、治るもの」
「心身の機能が調整されて、生命力が高まれば、自然と治るものである」
という考え方に基づき、気の滞りを解消、身体の各部位、それぞれの周波数を整えて、身体が、本来、持っている「治る力」を高める方法です。
■バイオレゾナンス トリートメントについて、詳しくお知りになりたい方はこちらをご参照くださいませ>>